忙しい。気候も優れないので体調最悪。
頭痛がしたり、いろいろとぼろぼろだ。そんなこんなで車中も寝てしまうことが多く、本もなかなか読み進まず。サイードの「
」はしばらくお預けとする。その代わりにこちらを読み進める。
「一冊でわかる イスラーム 」
マリーズ・リズン
/著
地元の図書館から借りた本。手頃な厚さと題名、そして装丁に惹かれたのだが、けっこうディープな本だった。とくにイスラムの宗教と政治の側面につ
いてその歴史的な変遷を説明しつつ、紹介している点が特徴。サイードは「パレスチナ問題」のなかで、如何に西欧文化がアラブ文化に対して植民地支配を試
み、実際に行ってきたのかを述べているが、ではアラブ文化とは、そして背景となるイスラムについて、ほとんど述べるところがなかったように思えていた。
もっともポストコロニアルの視点から語るときに、文化を語ること自体が特定の立場から語ることを許してしまうからこそ、サイードは地を埋めることで図とし
てのパレスチナを浮かび上がらせたかったのかもしれない。
イスラムにおいて、ムスリムと神との関係はキリスト教における教会のような媒介、すなわち権威者を経ない関係によって成り立っていると理解した。結果、神の言葉であるコーラン(クルアーン)のみが媒介となりムスリムとつながっている。
真実(TRUTH)は、権威者によって語られるのではなく、コーランの中にある。その点で、権威者や政府がコーランのもとにおいては市民と同位であるといえる。
コーランには、ハディースと呼ばれる伝承がそれを補追しているが、600年のころから1400年近くにわたって内容の変化はない。ゆえに解釈学としての宗教学、法学が進化し、イスラム法としての法体系を形作っている。その点で、大陸法的な法体系といい得るのかもしれない。
(ちなみに西欧の法学の流れは白田先生のサイトが面白い。)
イスラム社会、アラブ社会において、権威者は神の代行者にすぎず、その権威は西欧に比べ低いといえるし、ボトムアップな小さな政府先取りって感じもする。またはSAC2のクゼヒデオのような感じ。
その点で、現状大きな変化がいっぺんをおこすことは困難な気もするし、筆者のリズンの予言するような都市化によって個人主義的な風潮が展開し、文化自体が変容する可能性がないとはおもえないけれど、僕の生きている間に「近代化」をなし得るかどうかはちょっと疑問かも。
最近のコメント